昨日の木更津みなと口を散策!木更津みち案内人と一緒に木更津を歩いてみた①の続きのレポートです。
見染めの松まで歩いてきて、続いて向かったのが、こちら
鳥居崎海浜公園です。以前ササ@きさレポが見染の松と鳥居崎海浜公園を見に行く。そして古地図で施設名の由来を考えるにて詳しくレポートしていますが、公園の入り口には、鳥居があります。
木更津甚句記念碑です。こちらも以前ササ@きさレポが木更津港近くにある「木更津甚句記念碑」を見に行ったにてレポートをしてくれています。
続いて海岸沿いを歩いて中の島大橋方向へ。遠くに見えるのは・・・潮干狩り場です。すでに潮干狩り場がオープンしています。きさレポでも2017年潮干狩り場特設ページを作成しますので、そちらも参考にしてみてくださいね。
木更津のシンボル!中の島大橋。この日は、天気も良く潮干狩り場も良い時間だったので、車がいっぱいです。そー言えば以前いとー@きさレポは、【きさレポチャレンジ】日本一高い歩道橋と言われている「中の島大橋」歩いて何分でいけるか?!なんてことをしてみましたね!笑
中の島大橋からの木更津海岸潮干狩り場です。結構人がいますね。私たちがわたっている間もどんどん家族連れなどが来てました。
その後、木更津市内の古い住宅などを見学してから立ち寄ったのが選擇寺(せんちゃくじ)です。
選擇寺(せんちゃくじ)と言えば・・・こうもり安の墓があることでも知られています。
選擇寺(せんちゃくじ)の入り口にある木更津市、木更津市観光協会の説明によると。
歌舞伎「与話情浮名横櫛」で切られ与三郎の相棒としておなじみのこうもり安は、本名を山口瀧蔵といい、文化元年、木更津五平町の大きな油屋「紀の国屋」の次男として生まれました。芝居中の人物像とは異なり、実際はなかなかの男振り、天性の美声に加え、金回りもよく、花柳界の寵児と言われるほどの人物で、ゆすりをはたらくような人柄ではなかったようです。毎夜ふらふらと出歩くことからこうもり安と呼ばれ、芝居では右ほほにあるこうもりの入れ墨は、実は左の太ももにあったと言われています。
ここ選擇寺にある紀の国屋代々の墓碑銘には、「進岳浄精信士 慶応四年四月五日」と刻まれています。
とのことです。
また、選擇寺(せんちゃくじ)は、小林一茶ゆかりのお寺でもあり・・・
藤勧進
小林一茶は、木更津に度々訪れ選擇寺に宿泊することもありました。
文化六年三月六日、当時末寺の東岸寺の大藤の下に於いて、一茶俳諧友の大椿(だいちん)・雨十(うじゅう)・魚拓(ぎょたく)・貞印(ていいん)等が集まり、「藤勧進」の句会が開かれた事が、文化句帖(ぶんかくちょう)に記載されています。
選擇寺から東岸寺にかけ、幾つもの藤棚があったと伝えられ、その「藤勧進」句会を偲ばせる唯一の藤棚が、木更津第一小学校に花を咲かせています。
又、俳諧の友「大椿」は選擇寺二十八世潮誉秀海上人で、東岸寺住職を経て選擇寺に入山されました。一茶と大変親しかった様です。
本年秀海上人の二百回忌菩提の為、「藤勧進」の折に詠んだ一首を石に刻み供養とするものです。 合掌平成二十年十月六日 浄土宗 選擇寺
と説明がありました。
また、選擇寺では、2017年5月7日(日)に選擇寺寄席が開催されます。そちらも良かったらご覧ください。
その後、光明寺にて与三郎の墓を見たりして木更津駅まで戻り案内は、終了。2時間20分ほどの観光でした。
いとー@きさレポは、木更津市に住んで20年以上になりますが、木更津の歴史などをここまできちんと勉強したこともなかったので、とても良い経験でした。
木更津みち案内人は、総勢20名ほどいるという事で、事前に依頼をすれば、案内をしてくれるそうです。
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